アパレルからの工賃では最低賃金が支払えない
私が縫製工場の経営をしていた時は、アパレルさんから工程分析表で送られてきて、工程ごとに標準時間が記載されていて、総秒数によって加工賃が決まっていました。正味時間に20%の余裕率を加えた時間が標準時間となっていて、トイレに行ったり、手待ちや相談、打ち合わせの時間を全体の20%としています。ただ、実際の現場をワークサンプリングしても余裕率はなかなか20%には収まってはおらず、標準時間の設定自体が厳しいものでした。
取引していたアパレルさんは生地やファスナー、ネームなどの資材やパターンは支給でしたので、純粋な作業工賃でした。
デザイン提案などをすることも無く、アパレルさんが企画した商品を規格書や縫製仕様書を添えて発注されるパターンです。
1秒の単価は0.5円です。生産性が100%とした場合に0.5円/秒の工賃で稼げる金額は
0.5×28,800(8時間労働の秒数)=14,400円(直接人員1人当たりの稼ぎ高)
縫製工場は縫製、裁断、仕上げの直接人員だけでは無く、現場事務や生産管理、営業、検査員、社長などの間接人員がいます。サンプル試作をする工賃も支払われないので、それらの間接人員が全体の20%だとすると
14,400×0.8=11,520円(総人員割の1人当たりの稼ぎ高)
稼いだ稼ぎ高の中から糸代や電気代や減価償却費の支払いをしないといけません。糸代は製造原価なので、糸代が5%とすると、
付加価値高は10,944円
売上高から製造原価を差し引いた金額が売上総利益(付加価値高)です。
ここから労働分配率を65%と計算したとすると、
人件費は7,114円
労働分配率は付加価値の中から人件費をどの程度の比率で支払ったかを労働分配率の標準は50%と言われています。ただ、10台以上の編み機を一人で管理している工場の場合は、一人当たりの付加価値高は高くなるので、労働分配率は低くなります。このような産業の場合、重要なのは、機械一台あたりの付加価値高です。一方、縫製工場のような労働集約型で一人で最大でも3台のミシンを使うのが最大の縫製工場のような企業の場合の労働分配率は65~70%と言われます。
人件費を時給に換算すると、
889円
これは、全国の最低賃金でも県によっては最低賃金の水準を下回ります。ただ、社会保険料の会社負担分を差し引くと、実質的に全国最低の最低賃金をも下回ってしまいます。この金額だと、ボーナスや退職金や社内の懇親会のような福利厚生費は捻出出来ません。このような事態にならないようにするために販管費を徹底的に抑えて、労働分配率を75%以上になるようにします。建物は減価償却が終わっても新築などは行わず、修繕費も徹底して抑えます。この状態だと、短期的には継続できても、長期的な継続は不可能です。
さらに、工程分析表に記載されている標準時間が達成できる条件は生産枚数が2,000枚の時点の数値で、実際に発注されるオーダーは2,000枚より少なく、確実に最低賃金を割り込みます。
縫製の仕事は生産量が増えれば習熟して、作業が早くなりますが、生産量が少ないと習熟する前に生産が終わってしまって、作業が標準時間に達しないまま生産が終了してしまうことが多いのです。
生産性を上げるための様々な努力をする
生産効率を最大限にして0.5円/秒に対応するために、各工程の縫製仕様や品質基準、注意点などを記載して工程ごとに掲示したり、工程毎の時間測定を行って、ラインバランスを取って作業者それぞれの持ち時間を均一にして、スムーズな流れを作るようにしたり、時間が多くかかっている工程の作業指導を行ったりして、標準時間よりも早く生産できるように改善を重ねます。
このような改善の努力を行っても、経営を維持するので精一杯で、全く余裕の無い状態が当たり前でした。
年間安定稼働のために様々なアイテムを生産する
縫製工場で生産するアイテムは季節によって変わります。一つのアイテムしか生産しない工場だと繁忙期と閑散期の差が大きくなって、100%稼働してもギリギリの工賃なのに、稼働率が下がると経営が全く成り立たなくなってしまいます。そのため、私が縫製工場を経営していた頃は、500秒余りのTシャツなどのカットソーから5000秒程度の薄い中綿の入るコートまで生産していました。ニットも布帛も関係なく縫いました。
このような様々なアイテムへの対応はやりたくてやったわけでは無く、年間安定稼働するためにやむなく行ったことです。
工賃は益々厳しくなっているものと思います
縫製の仕事は人件費の安い東南アジアで生産するのが当たり前になっていて、海外の工賃が基準になってしまっていて、国内の縫製工場を取り巻く環境は悪化する一途だと思います。
コロナ禍で、サプライチェーンの見直しの動きもありますが、国内の縫製工場は疲弊し切っており、社員の時給も安く、工場の規模を拡大したり、新たに縫製工場の経営に乗り出すような人はいないと思いますので、国内に縫製の発注が戻ることは無いでしょうし、工賃が上がるような環境でも無いと思います。
厚生労働省が最低賃金を決めるのであれば、最低秒単価や最低分単価を決めて欲しいと思います。
参考までに建設業の人工代を記載します
・普通作業員21,100円
・特殊作業員24,200円
・軽作業員15,100円
・とび工27,000円
・石工27,300円
・ブロック工25,300円
・電工25,500円
・鉄筋工27,200円
・鉄骨工25,400円
・塗装工27,900円
・溶接工29,900円
出典は、建設業界の人工代とはどのような費用のことを指している? から転載です。公共工事の積算の時に使用する単価だそうです。縫製工場の秒単価が0.5円だと、直接人員の日当は14,400円で、軽作業員の一日の稼ぎ高にもならない。しかも縫製工場の場合、標準時間に到達しない作業をしてしまうと、実質の秒単価は0.5円を下回ってしまうのです。また、オーダーが小ロットになると標準時間には絶対に到達しません。縫製工場で服を縫う仕事は建設業界の軽作業よりも低い価値の仕事なのでしょうか?
服を縫い上げる作業者の技術は特殊技能であり、ましてや日本の細やかな品質管理は建設業の軽作業よりも高い技能だと思います。
0.5円/秒の一日当たりの稼ぎ高、14,400円は発注ロットが2000枚以上で最もコンディションが良い時の金額で、ほとんどの場合は、発注ロットが小ロットで、この金額を下回ってしまうのです。
積算根拠が明確なだけマシかも
0.5円/秒の単価はかなり厳しい経営を押し付ける工賃なのですが、この単価を提示してきたアパレルさんは、自社工場を持っていて、膨大なデータを蓄積して、工程分析表と標準時間を提示して、その上で秒単価を設定しているので、積算根拠が明確なので、まだマシかも知れません。縫製工場にここまでの情報を公開するアパレルさんは少ないものと思います。
このアパレルさんでは、ロット係数と言う数値も出していて、2000枚のロットで標準時間通りの生産が出来るので、1。記憶は定かではありませんが、1枚の場合は23倍とか、4000枚で0.8倍など、発注ロットによってどの程度の時間の割り増しが必要かの係数も細かく出ていました。
良く聞く話しでは、売価が先に決まってそこから逆算して、工賃はこれだけしか払えないと言って来るところもあるようで、縫製工場にしたらデタラメな工賃を提示して来るところもあって、工賃の根拠など何も無く、縫製工場が継続出来ようが出来まいが全く関係なく、自分の会社さえ良ければ良いと言う態度のアパレル企業がとても多いことも問題です。
私が縫製工場を経営していた時よりも工賃の相場は下がっていると思いますので、売上高を計算するのもイヤになる程厳しくなっていると想像します。
このような縫製工賃の実態からすると縫製工場を続けて行くのはもう限界に来ていると思います。
ファッションに対する意識は個人差が大きい
ファッションに対する意識は個人差がとても大きく、自動車や家電品のような性能を客観的に示すデータは無く、個人の嗜好によるものだけで良し悪しが判断されます。
ある人は、極端に品質が悪く無ければ何でも良いと思う人もいれば、最先端のファッションをいち早く手に入れたいと思っている人もいます。
しかし、ファッション業界はバーゲンが当たり前で、定価で商品を買った人はバカを見ます。このようなユーザーに対して誠意の無い商売はすでにユーザーから見透かされていて、バーゲンを待って商品を買う人がほとんどです。
アパレルの価格政策はバーゲンを前提としたものにならざるを得ず、どの業態にもほとんど利益が出ないビジネスモデルになってしまっています。
仕事をお願いにアパレルさんに営業に行くと「中国価格ならいくらでも仕事はあるよ」と言われてしまいます。
しかし、アパレル企業とすれば、商品を売ってくれる人が一番大切で、商品が売れないことにはビジネスは成り立たず、販路を残すことが最優先になっているのが、縫製工場を大切にしない理由です。
そして、縫製工場のことは優先順位がとても低く、世界のどこからでも安く商品を調達することが出来ると考えているので、日本の縫製工場が継続して経営を続けることが出来るような工賃は提示されないのです。